2024年10月21日

西田敏行さん

Filed under: 未分類 — 土倉製材所 @ 8:51 AM

10月21日 月曜日 はれ  6℃~

昨晩、冷た~い風が吹いて 妙高や黒姫は白くなったかなって思ったんです。

今朝見たところ まだ白くなってませんでしたが そろそろですよね。

ところで 西田敏行さんが逝っちゃいましたね。

同じ年なんですよ、今のところ。まあ年が同じだけで他に共通するところなんてないんですが。

福島県郡山の出身だと知りました。

同年代の方が亡くなるのはさみしいですね。

ご夫婦の寝室が一緒だったのか 別々だったのか 知る由もありませんが 寝室で睡眠中の突然死だったようです。

わたしの場合 連れ合いが体調不良だったとき 隣であまり静かに眠ってると息をしてるか確認しちゃいますよ。

ほんと! そろそろ自分の番かもしれない年齢になってきました。 

団塊のみなさん、鼻にテッシュペーパーを貼って 呼吸確認できるようにして眠りましょう。

 

2024年10月20日

クラシックカー

Filed under: 未分類 — 土倉製材所 @ 8:05 AM

10月20日 日曜日 くもり

秋になると ツーリングするバイクが目立つようになります。

で、時々爆音をたてながら群れをなして走るバイクもあって 白バイ、何してんだ!って。

昔なつかしい車も数台走り去り その名前 皆知ってるし乗った事あるし・・と若いころを思い出すんです。

わたし 自家用車で最初に乗ったのがプリンスグロリアの縦目。

排気量は2000ccでスプリングが軟らかく乗り心地は良かったですね。 あのころ燃費なんて関係なかった。

最初は白、二台目は黒で 黒は事故で廃車しました。

その後 いろんな車に乗りました。

日産の名車 ブルーバード510なんてのもあったなー。

あの当時の車を車庫に入れて保管しておけば ひと財産。

タテグロは400万で売買ですし、ブルーバード510も300万円の値が付いてます。

わたしは昔を思い出すだけ 今 走り去ったハコスカやケンメリ乗ってる若者たち、どこが気に入って乗ってるんでしょう?

2024年10月19日

ハイガー

Filed under: 未分類 — 土倉製材所 @ 8:12 AM

10月19日 土曜日 くもり~雨  16℃~

ここにきてチェンソーが不調続きです。

機械ものは同時に壊れてくるから困ってしまう。

きょうまで5台が修理工場行き。 致命傷じゃなく2~3日の入院で再起できるから まだ良しとしてますが。

会社で使うチェンソー、スチールがほとんどですが マキタやリョービの小型機もあって適材適所の使い道。

以前 話題にしたハイガーというメーカーのチェンソーも2台買って試しに使ってみています。

これが50ccクラスで2万円代で買える、早い話 修理代で買える品物。

どうしてこんな値段で売れるか 不思議ですが 立派にエンジンは始動するし丸太の切断もできる。

圧縮比が低いのか排気量のわりに力不足は感じますが。

それでも入院中の機械の代わりを務めてくれる 予備選手にはなってます。

2024年10月18日

サルビア

Filed under: 未分類 — 土倉製材所 @ 4:02 PM

10月18日 金曜日 はれ

サルビアが咲いてますが これがサルビアだと教えてくれたのは スマホ。

なんか小さな鷹の爪みたいなのがいっぱい付いた にぎやかな花です。

サルビアの花言葉「知恵」「家族愛」「尊敬」など。

赤いサルビアは「燃え上がる思い」

サルビアの花言葉に忌む意味合いはないので お見舞いに持参してもOK.

サルビアを歌った唄に「サルビアの花は知ってる」西田佐知子

「サルビアの花」天地真理

両歌とも失恋の歌。

この花をみて失恋を連想するのは ちょっと無理。

祭り囃しのほうが似合う花です。

2024年10月17日

峠を越えれば福島県

Filed under: 未分類 — 土倉製材所 @ 6:16 PM

10月17日 木曜日 はれ

一般道200kmを4時間で走れれば 結構早いですよね。

今日 福島県金山町まで出張でした。

金山町は太平洋からも日本海からも同じくらい離れた内陸部。

こちらから出向くに高速道なら 北陸道新潟経由 磐越道会津坂下で降りるのが普通。

これなら距離は300km弱で時間は4時間半。でもお金が5000円かかります。

周りの風景を楽しみながら同じ時間で着けばこんないいことない、しかもタダ。

それがこの道。

国道117号線を新潟県津南町 六日町と行き 途中北原の信号右折で国道252号を入広瀬まで 続く峠道を上りきれば福島県。

福島県の最初の町は只見町、只見町の次が金山町。

ここまで200km 4時間。

峠道は紅葉が始まって色付き始めた木々とススキが秋でした。

用を済まし 帰り道も同じ道。 

六日町土市駅近くに割烹レストランで夕食。

仕事を忘れるほど 楽しいドライブなんですよ。 

2024年10月16日

雨予報

Filed under: 未分類 — 土倉製材所 @ 7:36 AM

10月16日 水曜日 くもり 14.4℃~20.4℃

10月中旬、天気予報は10時から雨。

私が言うのではなく 若いのが時間を限って言います。

私的に長年の勘で空気が冷たいから 雨にはならないって言い切りました。

それが どうです!憎らしいじゃありませんか 時間こそ1時間ばっかりズレましたが雨が降って来たんです。

田舎で暮らすおじいさん、翌日の天気を当てる名人と評判が高かった。

それが殿様の耳に入り 城に呼ばれ 明日の天気を当てるように言われたが 当たらない。

長年の勘で雲の流れ方 陽射しの強さ 山にかかる雲を見て天気を占っているんだろうと誰もが思った。

ところが おじいさん、長年つけてた褌の湿り気で天気を言い当てたのが 殿様の前に出るから着るものをみな新しくしたので 褌の湿り気がわからなかった・・・という昔話。

わたしは下着は毎日履き替えてますから 湿り気で天気予報なんてできない。 ただ雨の前 頭痛が始まるからそれとなく雨はわかる。

今日の頭はすこぶる快調・・・雨なんて降りっこない! のが、見事に外れ。

気象衛星に負けました。

2024年10月15日

幼馴染

Filed under: 未分類 — 土倉製材所 @ 5:46 PM

10月15日 火曜日   14℃~22.9℃

話は昨日の続きです。

わたしの幼馴染のかわいい女の子・・・だったのが 時間の流れは非情です。 かわいい女の子だからそのままかわいいおばあちゃんになればいいんですが そうは問屋が卸しません。

それなりに経年劣化が進み それなりの容姿に変ってわたしの前に居ます。

むかし話に花が咲き あの頃は・・・よかった・・・なんて いろんな話しがでて 時折今の話にワープ。

「わたし 若い時より10cmも背が縮んだ」って言うんです。

わたしも3cmは低くなってますが 10cmはすごい!

しかし、よーくみれば 縦の10cmがしっかり横に出てる。

ゴムまりみたいな幼馴染です。

2024年10月14日

スポーツの日

Filed under: 未分類 — 土倉製材所 @ 3:13 PM

10月14日 月曜日 はれ     9℃~21.9℃

加齢とともに体のあちこちが痛み なかなか思うように体の動きがとれない経験はありませんか?

わたくしはそんな経験大ありなんです。

少しでもそんな症状が遅れるようにと ラジオ体操を6時半からやってるんです。

わたしの体操場所の前に全身写る鏡があって 正面を向いてる限り体の動きがよく見えます。

ラジオ体操第一と第二の間に「両手を腰に 首の運動 前に曲げ 後ろに倒し」・・・ここまでは出来るんですよ。

次「左に曲げ 右に曲げ」・・・これができない!

鏡をみれば首が曲がらず 肩が上ってる。

妻をみれば それなりに顔が横に倒れてる。

で、原因が判明しました。

わたし 首が短い! 肩の上に顔が付いちゃってる。

2024年10月13日

亀虫

Filed under: 未分類 — 土倉製材所 @ 11:31 AM

10月13日 日曜日 はれ  

カメムシの大量発生です。

こんなに多いの経験ない!

窓ガラスに取り付くのや 空を飛ぶやつ 洗濯ものに張り付いたものなど とにかくカメムシだらけ。

時たま水槽に落ちるのも居て どうみてもタガメ。

タガメは漢字で田亀、亀虫の仲間だから似てて当然か。

長野県人は虫を食べるってどっかに書いてあった。

あんなこと書かれちゃ どんな虫でも食べるように思われる。

そんなことないんですよ! イナゴ、蚕のサナギ、蜂の子、天竜川産ザザムシくらいかな、食べるのは。

カメムシもこれだけ飛んでるんですから 炙るなり 天ぷらにするなりして食べたらどう?

イナゴに似た味がしそうじゃないですか。

2024年10月12日

ノーベル平和賞

Filed under: 未分類 — 土倉製材所 @ 9:17 AM

10月12日 土曜日 はれ  8℃~21.1℃

ここにきて朝の気温 一桁が普通になってきました。

朝 開いた新聞にすごく嬉しい記事がありました。

原水爆禁止を戦後ずっと言い続けてきた団体が ノーベル平和賞受賞を伝える記事。

感激に顔をくしゃくしゃにした代表の写真。

となりに衆議院立候補者の顔写真もあって 見比べると どうして政治家の顔はああなんでしょう?・・・

ノーベルは永遠に戦争が起きないようにするため驚異的な抑止力を持った物を発明したい、

兵器の殺傷能力が高まるほど平和になる―と自分なりの考えがあったようです。

それが今の核の抑止力論に繋がっているかどうか知りませんが 無差別に殺されちゃ敵わない。

今、被団協がノーベル平和賞を受賞したことで 少しでも戦争回避の道が広がっていけばいいんですが。

 

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